ものづくり産業は浜松から

18878(明治20)年、山葉寅楠が壊れたオルガンを修理し、その時の経験を活かして国産初のオルガンを製作しました。このことは近代浜松のものづくり産業の始まりと言われています。そして世界を代表する企業であるスズキ、ホンダ、ヤマハ、カワイはここ浜松で創業しました。さらに最近では光産業など新しい分野でも目覚ましい活躍をしている企業があります。これらは、ますやってみようと挑戦し、何度も失敗を重ねながら実現してきたものです。浜松を中心とした遠州独特の気質「やらまいか精神」が生み出したもので、その気質は新たな挑戦に向かっています。

そして空へ

2020(令和2)年4月、浜松市は浜松市モビリティサービス推進コンソーシアムを設立。これは、人口減少・超高齢化社会において官民連携及び異業種連携によりモビリティサービスを推進し、地域の移動手段の確立や移動とサービスの連携による地域の活性化を通じ、持続可能な都市づくりを目指すために設立されました。
特に、空の分野に注目し多くの民間企業の連携を促しています。そして、浜松市では、民間企業が共同で国立研究開発法人新エネルギー・新産業技術総合開発機構(NEDO)が公募した「デジタルライフラインの先行実装に資する基盤に関する研究開発事業(ドローン航路)」に採択され、2025(令和7)年3月天竜川水系(浜松市)において、世界初のドローン航路の開通しました。

ものづくりの系譜

1845年~江戸後期浜松藩主の井上正春が機織り技術を伝え広める
1887(明治20)年山葉寅楠がオルガンの修理からオルガン製作に成功
1896(明治29)年豊田佐吉が日本で最初の動力織機である木鉄混製「豊田式汽力織機」を発明
1899(明治32)年河合小市が山葉寅楠のもとで独自のピアノアクション(音を出す仕組み)を発明
1900(明治33)年山葉寅楠がピアノ国産第一号を完成
1912(大正元)年鉄道院浜松工場が開設 浜松のものづくりの原点になる
1922(大正11)年天龍製鋸㈱が国産初の丸ノコギリ「スター印」第一号を完成
1922(大正11)年福長浅雄が国産初本格的旅客機「天竜10号」完成
1924(大正13)年豊田佐吉が完全な自動織機を完成
1926(昭和元)年高柳健次郎、世界初のブラウン管式受像装置で「イ」の字の受像に成功
1930(昭和5)年堀内勝治郎が国産初のX線フィルムを発売
1930(昭和5)年鈴木道雄(現スズキの創業者)がサロン織機を発明
1935(昭和10)年髙栁健次郎が世界に先駆け全電子方式テレビジョンを完成
1940(昭和15)年野島晴雄がスロモーションが可能になるプリズム方式を開発
1946(昭和21)年本田宗一郎、本田技術研究所がエンジン付自転車「ポンポン」開発
1947(昭和22)年庄田和作が日本初のルーターマシン(高速面取彫刻機)開発
1949(昭和24)年本田宗一郎が、本格的なオートバイの第1号『ドリーム号D型』を完成
1950(昭和25)年杉浦睦夫が世界初の胃カメラ開発に成功
1952(昭和27)年鈴木式織機(現スズキ)が自転車補助エンジンの『パワーフリー号』を完成
1955(昭和30)年日本楽器より独立し、ヤマハ発動機株式会社を設立
1955(昭和30)年鈴木自動車工業㈱が軽四輪車スズライト発表
1955(昭和30)年日本楽器製造㈱が赤トンボとよばれたオートバイYA1を発売
1956(昭和31)年浜松テレビ㈱が光電子増倍管を開発
1959(昭和34)年高柳健次郎が世界に先駆け「2ヘッド方式ビデオテープレコーダーを発明
1959(昭和34)年日本楽器製造㈱が国産初の電子オルガンを開発
1966(昭和41)年鈴木健次がつくった会社㈱遠州軽合金が国産初のアルミホイールを開発
1968(昭和43)年庄田鉄工㈱が世界初の「NC数値制御ルーター」開発
1989(平成1)年浜松技術工業団地竣工
1989(平成1)年県工業技術センターが都田テクノポリスに開所
1993(平成5)年浜松地域テクノポリス都田土地区画整理事業完成
2005(平成17)年ローランド㈱が浜松に本社移転
2022(令和4)年第2期はままつ産業イノベーション構想策定
2023(令和5)年国土交通省デジタルライフライン全国総合整備計画・ドローン航路選定
2025(令和7)年世界初、ドローン航路天竜川水系にて開通